沖縄・那覇 首里城の城下町 坂下通り(松川)のレストラン ビストロそう゛ぁーじゅ  首里坂下(松川)の通りに面したマンションの2階にある素材にこだわったフランス料理の店。
はるばる、東京まで遠く足をのばさずとも・・・、ここ沖縄でしか味わえないナンバーワンではなくオンリーワンなレストランでありたい。

ビストロ ソヴァージュ 2008.2月に那覇の泊より移転し、ビストロの気軽な雰囲気から立派なレストランとしてリニューアルいたしました♪

 
2011/06/24 UP DATE
ほんものが分かる方に楽しんでいただきたい。
フランス仕込みの料理とワインでのおもてなし。
 


 

フランス直輸入の最高の素材と、
フランス・東京の名店で磨き上げられた技術で
大切なひとときを、お過ごしいただきたい
そんなお店です・・・。

沖縄とフランス
沖縄は古くからヨーロッパに知られていた。ポルトガル語で沖縄のことをレキオというのは、沖縄が琉球王国であったときの「琉球」がなまったものである。このように沖縄が知られていたことが、第二次世界大戦における日本を敗戦に向かわせる拠点として沖縄を連合軍が沖縄を選択したことにも影響を及ぼしている。
沖縄とフランスの歴史も古く、1844年にフランスの戦艦が沖縄の那覇に入港し、沖縄にフランスとの貿易及び布教を要求した。沖縄側はこれを拒否し、沖縄はフランスに水と食料のみを提供した。フランス側はこれを不服とし、フランス人神父とフランス人通訳を沖縄に残し、次回フランス艦隊が来るときまで沖縄が返事をするようにとフランスへ帰っていった。沖縄那覇の寺に身を置いた二人のフランス人は、厳しい沖縄の監視下の下に生活をしていたのだが、そこで沖縄の高官たちにフランス語も教えていた。これが日本のフランス学の発祥である。沖縄が日本で初めてフランス学を修得する機会を得たのである。
1846年5月と9月にそれぞれ別のフランス艦隊が沖縄に寄港し、フランス人宣教師の交代を行っている。それを知った薩摩は沖縄でフランス語を習得するよう命じて、沖縄に人を派遣し、沖縄の高官たちとともに寺でフランス語を勉強した。フランス艦隊が沖縄に寄港すると長期間沖縄に滞在したとみられ、寺の近くにある外人墓地にはフランス人宣教師の墓もあり、そのほかフランス人水平の墓、ペリー提督率いるいわゆる黒船の乗り組み員等の墓もある。開国を迫ったペリーはフランス軍の寄港から11年後に沖縄に寄港した際も沖縄のこの寺で病人の養生等世話になっている。

 

沖縄、那覇市の表参道こと,ここ坂下通りにリニューアルオープンしマンションの2階という隠れ家フランス料理レストランになりました。

沖縄 那覇の表参道こと坂下通りでフランス料理店です。以前は、沖縄県那覇の泊で営業しておりましたが現在は沖縄県那覇市松川、坂下通りに面したマンションでフランス料理やっております。首里城公園、金城ダム、大同中央病院、沖縄県那覇市松川の坂下通りに面してます。日航那覇グランドキャッスル、沖縄都ホテル、から歩いて数分・・・。ちょうど真向かいに山里外科もあります。また那覇新都心も近く、にぎやかな那覇とは違った落ち着いた静かな那覇を楽しみながらフランス料理を味わってください。

2008年の2月に移転しリニューアルオープンいたしました。こじんまりしたお店でのご披露宴、宴会パーティー、(着席・立食どちらも対応可能)沖縄ならではの模合いやホテルのような立派なパーティー施設はありませんが、こじんまりとしたフレンチレストランで料理に重みをおいた、フランス料理にご理解のあるお客様にご利用していただきたい。沖縄のレストランでのパーティーへの関心レストランパーティー文化を根付けていきたいとも考えております。泊の時のビストロの名前がぴったりで美味しいフランス料理があったお店とは違い、綺麗で豪華なレストランにリニューアルし松川では立派なレストランでやらせていただいております。『レストラン そう"ぁーじゅ』といっても過言ではありません。沖縄ならではな、県産食材、地産地消で沖縄の那覇から発信し盛り上げていきたい。地方から日本を盛り上げたい。

 


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ビストロ そう゛ぁーじゅ 沖縄・那覇の本格フレンチレストラン
〒900-0062 沖縄県那覇市松川387-2 JOY HOUSE・U 2F   TEL/FAX:098-887-5171
ランチ:11:30〜14:30(L.O.13:30)  / ディナー:18:00〜22:30(L.O.21:15) ※日曜日(L.O.20:30) 
定休日:毎週月曜日・第2&4月曜日の翌日の火曜日
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